DELUSION

デザイン学生が、様々な作品や人物を取り上げ、「作り手目線」で語っています。(映画、音楽、デザイン、漫画、アニメ…etc)

『シェイプ・オブ・ウォーター』 と マイノリティ

前回に引き続き今回も映画について語ります。

今回は2018年のアカデミー賞作品賞、監督賞、作曲賞、美術賞ほか多くの賞をとったシェイプ・オブ・ウォーターについて。

 

シェイプ・オブ・ウォーター

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観ていない人のためにも軽くあらすじを説明すると、

時代設定は1962年の冷戦下のアメリカ。主人公のイライザは発話障害を持つ女性で、映画館の上にあるアパートで一人暮らしをしており、機密機関の「航空宇宙研究センター」で清掃員として勤務している。ある日、研究センターに一体の半魚人が研究のために運び込まれる。そして存在に気づいたイライザは密かに半魚人に想いを寄せることになるといった物語。今後の説明で細かい物語の説明も挟んで行きますけど、先に物語全体を知っている方がわかりやすいと思うのでよかったらこっちからwikipediaで予習しておいてください。

シェイプ・オブ・ウォーター - Wikipedia

 

シェイプ・オブ・ウォーター』は最初は全く知らなかったんですけど、アカデミー賞を作品受賞したその日に気になって見に行きました。僕はそんなにたくさん映画を観ているわけでもないんですが、今まで見た映画の中で一番感動しました。

面白い、興奮した、かっこいい、すごいと思った、など映画に対しての印象はといろいろジャンル分けできると思うんですけど、最も感動したのは完全にこれです。またその理由は後ほど。

 

まずはまた山田玲司さんの解説から観ていくんですけど、

www.youtube.com

 

これで山田さんが取り上げていたのがギレルモ監督について。

マイノリティを描いた作品

まず、この作品のテーマとして発話障害の女性と半魚人のマイノリティ同士の恋愛が描かれています。さらにほかの登場人物として、イライザのアパートの隣人であるジャイルズはゲイ、イライザの職場の友人のゼルダは黒人女性です。

ギレルモ監督はメキシコ生まれであり、現在のアメリカファーストのトランプ政権への批判を作中で表現しているのではないかとのことでした。

ギレルモ監督もマイノリティの気持ちを代弁しているのではないかと裏付けるもう一つの理由がギレルモ監督が日本アニメーション、特撮の熱狂的なオタクだということ。

ウルトラマン円谷英二ジブリ宮崎駿や、手塚治虫までかなり日本のクリエイターから影響を受けているとのことでした。

オタクというのは怪獣や虫や鉄道など、一般的に光の当たらないものに光を見出す人のこと。ギレルモもそのうちの一人であり、作品の中で半魚人を超男前に描いている。

実際のその半魚人がこれ。

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 今まで見たことある半魚人よりディテールまで凝っていて、しかも美しい容姿を持っているのがわかります。

また、これは作品のオープニングなんですけど、水中にカメラが入っていくと、そこにはリビングがあって、そこにイライザと思わしき女性が眠っているというシーンがありました。

誰も知らないところに、美しい世界がある。それがオタクの世界であり、ギレルモがオタクの世界を美しく表現している。

 と山田さん。つまり、これはオタクほかマイノリティの存在に光を当てた作品だったのです。それを『電車男』『海月姫』のように、直接的にオタクの現実から光を見出している物語と違って、"マイノリティな人間(オタク)と人間界においてマイノリティである半魚人(オタクが愛しているもの)の恋"という夢に溢れた超ロマン主義的な作品であるところがまたオシャレであり、愛のある映画だなという感想でした。

 

唯一の悪役・ストリックランドの正体

ストーリーの流れとしては、研究センターに運び込まれた半魚人が、軍人であるストリックランドによって解剖されようとされようとするところをイライザが友人の助けを借りて連れ出そうと奮闘し、最後はイライザと半魚人は海で幸せに暮らすという流れなんですが、そこでことごとくイライザ達たちを追いつめるストリックランドが、主要人物の中で唯一の悪役なんですが、それが絵に描いたような強烈に悪いようなやつなんです。

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最初に研究センターに運び込まれた半魚人を邪険に扱い、いきなり薬指を切られるというショッキングなシーンがあります。ストリックランドはとりあえずその指を応急処置として一旦くっつけます(全然くっついてないです)。そしてイライザ、ゼルダに対しても女性蔑視な態度を取り続けるという、マイノリティに対して差別主義な男。こいつがこの作品の主要キャラクターで唯一のマジョリティの化身です。時代設定からして、権力を持った白人の軍人であり、美しい妻と子どもにも恵まれているというキャラクターは世間一般的に言う成功者です。そして他にもマジョリティ側がちらほら出てきます。ゲイのジャイルズがゲイであることに気付き、態度を変える店員や、ゼルダを家庭内で邪険に扱うゼルダの夫。ストリックランドを除く主要キャラクターの周りにはそういった人達で溢れていました。つまり、世の中のマジョリティはマイノリティに対して排他的考えを持っているということを訴えている。

ラストシーンで、半魚人がイライザを連れて海の中に飛び込んだのは、「マジョリティが支配する世間(地上)で生きるのをやめたマイノリティが、自分たちだけの居場所(水中)で幸せに暮らしていくことにした。」ということ。「マイノリティはたとえ評価されなくても輝ける場所がある」という表現があのラストシーンであったと思います。

 

そしてストリックランドの指の存在が彼の心情をすごく描写していました。半魚人によって切断された指は応急処置で繋がれたのですが、時には血を吹き出し、どんどん黒ずんでいきます。ストリックランドは指を切られてから半魚人に強烈な恨みを持ち始め、執拗に暴行を加えたり、殺害するタイミングをずっと伺っていました。そしてイライザたちが瀕死状態の半魚人を研究センターから連れ出し、家で匿っていることがバレるシーン。ここで真っ黒になった指のままゼルダの家に上がり込み、半魚人の居場所を問い詰める場面でついに無理やりくっつけていた自分の指を引きちぎって捨てるという狂気に満ちたシーンがありました。ストリックランドの指は半魚人への殺意や遺恨の象徴だったと思います。

 

独特な表現

シェイプ・オブ・ウォーター』のすごいところの一つとしてかなり表現が独特だというところ。ギレルモ作品をこれしかまだ見たことがないのでもしかしたら監督自体がこういう作風なのかもしれないけど、異様な違和感を感じながら見ていました。

その理由が、現代への風刺が効いているのに、時代設定が古く、純文学を見させられている感覚なので、気持ち的に入り込めそうでなぜか入り込めないみたいな不思議な感覚でした。出てくるセットはもちろん、テレビや人々の雰囲気も古い。また、途中でイライザが半魚人と踊っているもうそうをしているシーンがあるんですけど、それがまた白黒映像で、その感じもまた古い。終始夢の中を見させられているような不思議な感覚でした。オープニングとエンディングで男性の声でナレーションが入るんですけど、それこそ昔話を聞かされているような。

にもかかわらず、過激な描写があちらこちらにあるのがまた突き放される理由の一つ。ストリックランドの修正なしのベッドシーン、イライザが手話でFUCKとストリックランドに伝えるシーン、半魚人がジャイルズの猫に威嚇され、興奮して猫を食べてしまうシーンなど、性描写やバイオレンス的な表現が露骨に描かれていました。かと思えば最後のポスターにもなっている最後に水中でイライザと半魚人が抱き合うシーンは息をのむほど美しいものでした。

この違いはなんだと考えてみると、イライザが物思いにふけってたり、半魚人と過ごしている時間の時だけお洒落な演出がなされていました。イライザが恋人のいない孤独な毎日を送っているという描写があり、妄想してしているシーンもある。しかもなぜか彼女は映画館の上にあるアパートで暮らしている。この設定が完全にイライザが夢見がちな女性であることを象徴してる気がしました。そしてさっきも言っていた通り、このイライザはオタク達の生き写し。オタク達の夢をギレルモ監督が表現したんじゃないかと思いました。

そして心をを打たれた理由が、この作品でマイノリティが生きていく上で感じている息苦しさを、60年代という現代よりもはるかに差別が強い時代で描くこと表現し、その中でも美しさや夢があるということを表現したんじゃないかなと思いました。直接的でなく、ここまで文学チックに社会批判を表現した作品はなかなかないと思います。まだ見てない人はぜひ見て欲しいです。

 

と、ここまで長々と書いてきましたが、さすがに長すぎたので次からは一作品につき何部かに分けて書いていきたいなと思ってます。